97年分

『イコン』F.フォーサイス、角川書店(1 月)

フォーサイス最後の作品。 結局文庫を待ちきれずハードカバーを買ってしまいました。 今度のテーマはロシア、 共産党崩壊後の混乱からファッショ勢力が台頭してきます。 各国情報機関で「非常に由々しき事態である」と分析されるのですが、 内政干渉となってしまう現政権には手を出せないため、 各国の引退した元首脳などからなる「賢人委員会」が秘密裏に対抗策を練ります。

ここで登場するのが元 SIS 長官のナイジェル・アーヴィン卿。 イギリス人らしい辛口のユーモアを感じさせる人物で、 フォーサイス作品では『第四の核』などでお馴染みです (私好きなんですよねえ、この人...)。 現在は第一線を退いているのですが、 「フォックス」の二つ名を持つ欺瞞工作のプロフェッショナルで、 復帰した今回でもその手腕をいかんなく発揮します。

ラストで全てが明かされる快感はいつものフォーサイスの通りですが、 工作を終わって再び引退生活に戻るアーヴィン卿の姿は、 最後の作品にふさわしい余韻を感じさせます。 翻訳の篠原氏の文章もいつもの通り素晴らしく、一気に読み通せます。 しかしそれにしても、もうフォーサイスが読めないのかと思うと悲しい...

『処刑室(上)(下)』J.グリシャム、新潮文庫(4 月)

原題 "The Chamber"、ガスによる死刑執行室のことを指します。 処刑されんとしているのは、元 KKK 団員にして爆弾テロの実行犯の老人。 処刑は延期され続けてきたのですが、州知事の選挙対策の一環として、 新たに処刑の期日が指定されます。 主人公の弁護士は大学時代に老人が自分の祖父であることを知り、 処刑から老人を救おうとします。 実は老人はテロでは従犯であって、主犯は捕まらずにいるのですが... と言うのがあらすじ。

各所各所の心理描写、歴史背景などの記述はさすがですし、 ラストは思わず手に汗握り、ほろりとさせられる展開となります。 が、どうも読後感がすっきりしないのです。 細かく言ってしまうとネタバレになっちゃうのですが、 前半から張ってある伏線のうち、機能しないものが多々あるのです。 確かにストーリー上必要な設定ではあるのですが... トゥローなどの読後感に比べると残念に感じてしまいます。 読んでる間は面白い小説なんですけどね。 そう言えば「依頼人」もそうだったなあ。

『漆の実のみのる国(上)(下)」藤沢周平、文芸春秋社(8 月)

藤沢氏の遺作となってしまった作品です。 米沢藩上杉氏の藩主となった上杉治憲、後の鷹山の半生を記したものです。 江戸中期、吉宗から田沼時代へと、貨幣経済への移行が進む中、 貧乏藩であった米沢藩の建て直しに苦闘する治憲とその周囲の人々の姿が描かれます。

天明の大飢饉なども重なり、改革は遅々として進まず挫折を繰り返します。 そういう意味ではカタルシスのある小説ではありません。 しかし、鷹山や人々の描写に透徹としたものがあり、 藤沢氏一流の文体と相余って、 ピンと張った緊張感のうちに物語が進んでゆく快感があります。

小説はまさに最後の改革に臨まんとするところで終わっています。 これは周平氏の病状の悪化のせいかもしれません。 この改革が成功裏に終わったのか、 いつか歴史書をひも解いてみたいと思っています。

『立証責任』『有罪答弁』S.トゥロー、文春文庫(8 月)

「推定無罪」で法廷小説の草分けとして有名になった S.トゥローのその後の作品群です。 実は先に「有罪答弁」を書店で見つけ、慌てて「立証責任」も購入しました。

「立証責任」は、主人公である初老の弁護士が、 出張の帰りに自宅で自殺している妻を発見するところから始まります。 そして同時に、妹の夫である先物取引会社のオーナーへ、 検察の手が伸びて来ます。 なぜ妻が死を選んだのかを探る主人公と、 妻の死後の子供たちや妹夫婦との関係、 さらには取引疑惑における司法当局とのやり取り、 それらの並行していたストーリーがラストに向けて収斂していく様は、 まさに小説読みの醍醐味そのものです。絶対お薦め。

「有罪答弁」は、珍しく一人称の小説です。 主人公は、元警官のこれまた初老の弁護士。やや窓際に追いやられていた彼は、 所属する事務所の首脳部から、行方不明の同僚の調査を命じられます。 彼はクライアントの口座預金を持ち逃げして逃走したとされており、 元警官である彼に白羽の矢が立った、というわけですが... 前半はやや単調な印象を受けるものの、下巻に入り、 逃走した同僚が発見されてから、ストーリーは俄然面白くなります。 どんでん返しに継ぐどんでん返し (って、これはたしかグリシャム「法律事務所」の宣伝文句でしたね)、 最後にすべて明らかにされる背景の謎、 この辺りストーリーテラーとしてのトゥローは、 グリシャムより数段上との印象を受けます。 値段の分は絶対に楽しめます。こちらも強くお薦めします。


文責:中野武雄(98.1.1更新)

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